正解はひとつじゃない

教室で生徒さんから「先生、この書き方で合っていますか?」と尋ねられることがよくあります。古典やお手本で学ぶときには「正しい形」が確かに存在します。しかし、一歩進んで作品づくりに向き合うときには、話が少し変わってきます。そこには「ただ一つの正解」というものはないのです。


もちろん、基本や約束事を無視してよい、という意味ではありません。正しく文字を書く力があってこそ、表現の幅も広がります。けれども作品というものは、ただ「正しい」だけでは心に響きません。線の強弱や濃淡、余白の取り方、リズム感や呼吸のようなものーーその表現方法は人それぞれであり、そこにこそ書き手の個性が表れます。


同じ古典を臨書したとしても、十人いれば十通りの作品になります。ある人は力強く、ある人は柔らかく、ある人は静かに淡々と書く。そのどれもが正解であり、そこにこそ作品の魅力があるのだと思います。


私自身も、始めたばかりの頃は無意識のうちに「正しく書かなければ」という思いにとらわれていました。でも、時を重ねるうちに「世の中の正解を探すのではなく、自分の中にある正解を探すこと」が大切なのだと気づきました。


もちろんそれは、自分の中でのみ熟成するのではなく、基本に立ち戻り、古典を学び、師の教えを仰ぎ、書友からのアドバイスをいただき、ゆっくりとじっくりと一生かけて育てていくもの。作品を仕上げた後に「もっとこうすればよかった」と反省することは多いですが、それもまた自分の歩みの一部。未熟でもその時の自分にしか書けない作品というものもあります。作品に“唯一の正解”はなく、むしろそのすべてが正解とも言えるかも知れません。


生徒さんにはこんな風に伝えています。「お手本を学ぶときにはよく見て正しく真似ることが大切。でも、作品づくりには“自分の正解”を見つけることが大切です」と。基本を学び、そのうえで自分だけの正解を育てていく。そこに書を学ぶ楽しさがあるのだと思っています。

柚墨庵 Yubokuan

字を書くことが好きになる。 自分で書く字を好きになる。 ふだんの暮らしを、書のある暮らしに。 杉並の小さな隠れ家で 書のレッスンをはじめてみませんか。