当たり前を疑う
今年も、学生の昇級・昇段試験の季節がやってきました。私の教室でも、生徒さんが一段上を目指して一生懸命にお稽古をしています。その姿を前にすると、私も自然と指導に熱が入ります。
私が生徒さんの「お手本」を書くときに、心がけていることがあります。それは、自分が「当たり前」に書いている文字を疑うこと。長い年月の中で、誰もが知らず知らずのうちに自分なりの書き方やクセが身についています。作品として仕上げるときには、それは「個性」として魅力になるものですが、生徒さんが学ぶためのお手本となると、正しく、基本に忠実であることが大切です。
たとえば、二本並んだ線のどちらを長くしてどちらを短くするのか。収筆は止めるのか、それとも払うのか。線をしっかりと強く引くのか、あるいは柔らかくつなげるのか。その違いには、必ず基本となる決まりがあります。自分の感覚だけを頼りに書いてしまうと、いつの間にか基本から少しずれた文字になってしまうこともあるのです。
だからこそ、私はお手本を書く際には必ず字典を引きます。子どものお手本は「漢字指導の手引き」を見て細かく確認します。子どもにとって、お手本に書いてある文字の形がそのまま一生の基盤になるからです。
私たちは日々の暮らしの中でも、無意識に「当たり前」の行動を繰り返しています。慣れ親しんだやり方や思い込みは、安心感を与えてくれる一方で、視野を狭めてしまうこともありえます。
ほんの少し立ち止まって「本当にこれは正しいのかな」と自問してみるだけで、新しい発見や気づきが得られることがあります。暮らしの中の習慣や人との関わり方も、当たり前を疑うことは、小さな工夫や改善につながり、自分をリセットする良い機会になると思っています。
これからも、筆を持つたびに「本当に正しい?」と確認する姿勢を忘れずにいたい。その積み重ねが、生徒さんにとっても私にとっても、豊かな感性を磨いていく第一歩になると信じています。
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