自分にしか書けないもの
展覧会の作品に取り組む時期になると、毎回自分に問いかけることがあります。
「自分にしか書けない作品ってなんだろう。」
書道を続けている以上、誰かの真似ではない自分だけの表現をしたいと思うのはごく自然なことです。
「もっと自分らしく。」
「もっと個性を。」
「私だけの線を。」
そんな思いが強くなるほど、なぜか筆の動きは硬くなり、線からのびやかさが消えていくことがあります。自分が書いているはずなのに、どこか誰かに書かされているような感覚。
では、「自分らしい線」とは、一体何なのでしょう。私もまだ、その答えは見つけられていません。
ただ、最近こんなことを感じるようになりました。思い通りに書こうとすることを忘れ、目の前の一画一画にただ向き合っていた時のほうが、後から作品を見返したときに「これは私らしい線かもしれない。」と素直に思えることがあるのです。反対に、「自分らしさ」を意識しすぎた作品ほど、どこか作為的で、肩に力が入っているように感じます。
自分らしさは、作ろうとして生まれるものではなく、後からふわりと香るようなものかもしれません。これまでひたすらに古典を学び、積み重ねてきた時間。思うように書けずに悶々とした日々。何枚も書いて真っ黒になった紙が、部屋の隅に積み上がった光景。そうした一つひとつの時間が、知らず知らずのうちに一本の線に積み重なっていく。だからこそ、その線は誰にも真似ができないその人だけの線になるのでしょう。
最近は、「自分らしい作品を書こう」と考えるよりも、「今日の自分が書ける、いちばん誠実な線を書こう」と思いながら筆を持つようにしています。その一画が積み重なった先に、結果として「自分らしい作品」がある。もしそうだとしたら、自分らしさは追いかけるものではなく、日々の積み重ねの中で静かに育っていくものなのかもしれません。
まさに今、12月の展覧会に向けて迷いながら筆を動かしている真っ最中です。その迷いも、いつか私の線の一部になってくれるのでしょうか。そんなことを思いながら、今日も一枚一枚、丁寧に向き合いたいと思います。
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